建築家ル・コルビュジエが設計した最初の集合住宅、スイス(ジュネーヴ)のイムーブルクラルテ。現在も住民のアパートとし利用されている古さを感じさせない魅力があります。
その概要、見学についてまとめました。ジュネーブ(スイス)や近郊の旅行を検討したり、ル・コルビュジエに関心のある人は是非どうぞ!
イムーブル・クラルテ(1930~1932年)概要
イムーブルクラルテ(Immeuble Clarté)は、1930~1932年、スイスのジュネーブ市内に建造されました。
ジュネーヴの実業家エドモンド・ヴァナー氏によって、中産階級の家族向けに建てられました。
1930年代、弟子の家具デザイナーであるシャルロット・ペリアンらと共同で家具デザインに取り組んできたル・コルビジエは、この頃から、あらかじめ住宅に家具をビルトインする方法にこだわりはじめました。
その先駆けがイムーブル・クラルテの集合住宅です。
各階に8つの部屋があり、それぞれにビルトイン式の家具や可動壁が用意され、各住人がカスタマイズして住みやすいように設計されていました。
この住宅では鉄とガラスが多用されていましたが、施主のヴァナー氏は溶接関連の事業を行っていたため、その協力をうることで、精度の高い施工が可能となりました。
ガラス・サッシュに合う規準尺の柱・梁の標準的な鋼鉄の骨組みを電気溶接によって組み立てたもので、二層ごとに設けられたテラスを使って仮設足場を組むなど、工法にも効率化が示された現場モデルでした。
建物内の2か所には吹き抜けが設けられ、多くの光が注ぐように配慮された一方、屋上庭園やピロティといった、それまでのコルビュジエ建築を特徴づける様式も取り入れられていました。
この集合住宅は、コルビジェによれば、「本質的な太陽、空間、緑を享受する喜び」を与えるためのものだったと言います。
この作品はコルビュジェにとって最初の集合住宅であり、また、『輝く都市』で表明した見解を実現する最初の機会でもありました。
ここで提示された住宅の提案は、その後の建築設計や都市計画に対しても大きな影響を与えていったと言われます。
この集合住宅は建設工業化と標準化、乾式構法、プレハブ化の端緒を切ったもので、第二次世界大戦後の集合住宅棟の大量供給、また、マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」につながるものです。
吹き抜け(下から上に眺めたアングル)
ルコルビジェ:イムーブルクラルテの感想
もし「比較的、最近の建物(1970~1980年代くらい)」と聞いても、違和感のないほどの外観。
とても1930年建造とは思えないメンテナンスの良さです。
部屋は見学できませんが、たまたま住民が通りがかり、エントランスホールに入らせていただきました。
ガラスの階段は見応えがありました。
スイス、フランスには「建物を大切に維持していく文化」が根づいているように思えました。
イムーブル クラルテの場所、行き方、アクセス
所在地:2 et 4, rue Saint-Laurent Genève
イムーブル・クラルテ(Immeuble Clarté)はジュネーブ市内の中心部にあります。
鉄道「ジュネーブ駅」から2~3km、ジュネーブ空港から6~7kmです。
ジュネーブ自然史博物館から徒歩4~5分(約350m)の場所です。
イムーブル クラルテの入場見学情報
建物は現在も集合住宅として使用されており、住人がいます。
そのため、一般観光客による部屋内部の見学はできないようです。
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