スリランカのコロンボ市内のジェフリーバワ建築と言えば、バワの自邸「ナンバーイレブン」が有名ですが、もう一軒、知られざるバワ建築があり、2019年に修復を終えて一般公開されました。
その名もデ・サラム・ハウス(De Saram House,デ・サラム家の邸宅)。
このデ・サラム・ハウスの魅力は「アートと音楽、バワを象徴する建築スタイルが融合し、調和した空間」になっているところ。
これはオーナーの趣向や生活を色濃く反映している住宅建築ならではの特色。
さらに嬉しいのは、このデ・サラム・ハウスは一般観光客も宿泊できる部屋が4部屋あること!
早速ご紹介します。
デ サラム ハウスのデ・サラーム家とは?
デ・サラーム家(De Saram Family)はスリランカで有名な音楽家の家系です。
ロハン・デ・サラーム(Rohan de Saram-1939年生まれ)はチェロ奏者。
出典:Discog
その兄弟のドルヴィ(Druvi de Saram)はスリランカでも最も有名なピアニストの一人。
出典:Discog
2人ともイギリスを主な拠点として活躍した音楽家ですが、元はスリランカのコロンボ出身。
デ・サラム・ハウスに住んでいたのは、ドルヴィ・デ・サラム一家。
しかもジェフリーバワの自邸兼設計事務所のすぐ近くに住んでいて、デ・サラム一家はジェフリーバワと親交があったそうです。
妻のシャルミニ(Sharmini)、娘のラディカ(Radhika)とマンディラ(Mandhira)です。
ドルヴィの娘、マンディラ(Mandhira de Saram)は、今もイギリスを拠点として活躍中の若手バイオリニストです。
常に音楽中心の生活をしていたデ・サラム家は、家の中心に音楽のための部屋がありました。
デ サラーム ハウスの歴史
画像出典:GEOFFREY BAWA TRUST “De Salam House”
デ・サラム一家は、ジェフリーバワの自邸兼設計事務所「ナンバーイレブン」の近くに住んでおり、ジェフリーバワと親交があったそうです。
きっかけは、1970年頃、デ・サラム家がジェフリー・バワへ子供たちのための住宅の設計を依頼したこと。
1970年代の前半と言えば、50代となったバワが日本の大阪万博で「スリランカ館 (1970)」を設計し、数々の名建築を設計していった時期。
しかし、その頃のスリランカでは、政府により民間の住宅建設は規制され、バワがスリランカ国内で請け負っていた民間住宅建築は、このデ・サラム・ハウスのみだったそうです。
1986年のジェフリーバワによる大規模な改修を経て、その後、一時期、デ・サラム・ハウスはレンタルされていました。
その約25年の間、この邸宅は「デ・サラム家らしさ」を失っていたと言います。
そして、2019年春。
ルヌガンガ財団はデ・サラム家と協力し、情感あふれるデ・サラム家の再現と修復を終えました。
この修復は、1990年代前半からバワのプロジェクトに加わり始めた弟子、アミラ・デ・メル(Amila de Mel)が担当。
修復の一環として財団は、バワとデサラム家の重要な芸術作品(アート・コレクション)の保存と展示も手がけました。
デ・サラム・ハウスを特徴づけるそれらの芸術作品は、20世紀のスリランカ芸術の発展を支えた「Colombo '43 Group(※)」の作品群です。
(※)Colombo '43 Groupは、1943年に設立されたスリランカの20世紀半ばの近代絵画のグループ。セイロン芸術協会から分離独立した志を同じくする画家たちの集まり。
画像出典:the SUNDAY TIMES
画像出典:https://www.architecturaldigest.in
デ サラム ハウスでの宿泊
△画像出典:the SUNDAY TIMES▽
ROOM1:スタジオスイート(Studio Suite)2階 US$ 150~
ROOM2:デラックスルーム(Deluxe Rooms)1階 US$ 125~
ROOM3:デラックスルーム(Deluxe Rooms)1階 US$ 125~
ROOM4:スタンダードルーム(Standard Room)2階 US$ 80 ~
上記は目安。時期などにより流動的。詳細は直接、財団までお問合せください。
予約問合せ(英語のみ可)ルヌガンガ財団
デ サラム ハウスの関連情報
スリランカ人ジャーナリストSmriti Daniel氏の記事(英語)
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