ル・コルビュジエ スイス

ル・コルビュジエの故郷、ラ・ショー・ド・フォン訪問見学情報:ジャンヌレペレ邸など

2018年11月8日

近代建築の三大巨匠の一人、ル・コルビュジエの故郷、ラ・ショー・ド・フォン(スイス)。

コルビュジエがラ ショー ド フォンで過ごした時代について、その概要、残した建築、その見学や訪問の方法についてまとめました。

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「ル・コルビュジエ」になる前の時代

近代建築の巨匠「ル・コルビュジエ」こと、本名「シャルル・エドワール・ジャヌレ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)」は、1887年10月6日、スイスのラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)で生まれました。

ラ・ショー=ド=フォンはスイス北西部、ジュラ山脈の麓。フランス国境近くに位置する町で、海抜1000m前後。山の自然に囲まれた地は、1800年代当時から時計産業の中心地として発展していました。

シャルル・エドワール・ジャヌレ(後のコルビジェ)は、腕時計の装飾を行う職人の父とピアノ教師の母の間に次男として生まれました。当初、家業の時計を継ぐ予定で、13歳のときに地元のラ・ショー=ド=フォン美術学校(l'École d'art de La Chaux-de-Fonds)へ進みました。

シャルル・エドワール・ジャヌレが「ル・コルビュジエ」と名乗りはじめたのは30歳を過ぎてから。パリでの生活を始め、自ら立ち上げた雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」で使用したペンネームがその始まりです。

「ル・コルビュジェ(Le Corbusier)」というフランス語の冠詞がつくような風変わりな名前は、南フランスのカマルグ地方を出自とする祖先(曾々祖父)の苗字「ルコルビュジェ(Lecorbusier)」にちなんだと言われます。

13歳で地元の美術学校に入り、時計装飾を学びはじめたシャルル・エドワール・ジャヌレ。懐中時計のデザイン作品がミラノの博覧会で賞をもらうなど、親ゆずりの芸術的才能の片鱗を見せていました。

しかし、強度の弱視であったため、時計職人の道は断念。一方、その美術工芸学校で教師レプラトニエとの出会いにより、建築に目覚め、その後、画家、建築家としての人生を歩んでゆくことになります。

▲若き日のシャルル=エドワール・ジャヌレ
画像出典:ラ・ショー=ド=フォン市 公式サイト

レプラトニエ(Charles L'Eplattenier/1874-1946)は、画家、建築家であり、シャルル(ルコルビジエ)の人生に多大な影響を与えた美術学校の教師。また、この地方特有のアール・ヌーヴォーの一様式である「スティル・サパン」を広めた人物としても知られ、当時としては革新的、前衛的な考えをもつ教師、校長だったと伝えられています。

▲ル・コルビュジエの教師、シャルル・レプラトニエの肖像画
(画像出典:Alchetron - Free Social Encyclopedia for the World

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生まれ故郷「ラショードフォン」

ラショードフォンは、スイス第4の都市ベルンの北西や約75kmのあたりにあるジュラ山脈の麓の町です。

ラ・ショー=ド=フォンと隣町のル・ロックル(Le Locle)は、スイスのヌーシャテル州に残る伝統的な時計製造業と結びついた都市計画がされ、現在、ユネスコの世界遺産(産業遺産)に指定されています。

例えば、高級腕時計として知られる「オメガ(OMEGA)」は、1848年にこのラ・ショー=ド=フォンで発祥。当時は、まだオメガという社名でなく、創業者の名前をとって『ルイ・ブラン&フィルズ』という社名でした。

また、別の高級時計の「タグホイヤー(TAG Heuer)」の本社や工場は、ラ・ショー・ド・フォンにあります。

その他、ラ・ショー=ド=フォンの国際時計博物館には、古今東西の4500点を超える時計が集められ、スイス計時史協会の本部も置かれています。コルビュジエと直接的に関連はありませんが、時間があれば、一見の価値があります。

▲現在のラ・ショー=ド=フォンの町、街自体が世界産業遺産に指定されている
(画像出典:スイス政府観光局

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ラ ショー ド フォンのコルビュジエ建築

ラ・ショー・ド・フォンには、シャルル・エドワール・ジャヌレが設計に携わった建築が6軒残ります。

いずれも10~20代の無名時代に手がけたもので、その後のル・コルビュジエの独創的な建築とは異なる風情。

6軒を徒歩移動で結んだ場合の距離は4kmほどで、ほぼ同じ場所に、ジャンヌレ=ペレ邸、ファレ邸、シュトッツァー邸、ジャクメ邸の4軒。

やや離れた場所にシュオブ邸。

そして、ラ・ショー=ド=フォン駅の近くにスカラ座(Cinéma "La Scala")があります。

時間があれば6か所すべて見学できますが、その中でも建築的、コルビュジエの生涯として価値が高いものは、ジャンヌレ=ペレ邸、ファレ邸、シュオブ邸の3軒でしょう。

それぞれの位置関係は下の地図のとおりです。

▲ジャクメ邸(ジャンヌレ・ペレ邸とファレ邸の間)に立つ町の建築マップ

以下でメインの3軒をご紹介してゆきます。

施設側の都合により、開閉館、料金、見学方法は予告なく変わることがあります。

実際の訪問、予約にあたっては、下記の公式サイト等で必ず最新情報をご確認の上、お出かけ下さい。

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ジャンヌレ=ペレ邸(1912年)

ジャンヌレ・ペレ邸(Villa Jeanneret-Perret, La Maison blanche)は、1912年に彼が両親のために設計。故郷に建てた住宅です。

緑の斜面に映える白い漆喰の外観、そして、当時の周辺の家々とは全く異なる外観で目立ったことから、「メゾン・ブランシェ(白い家)」とも呼ばれます。

シャルルは、20代前半の約3年間。ヨーロッパ各地を旅して広い見聞をかさね、その芸術文化や建築の歴史や多様性を学びました。「東方への旅」と言われるものです。

ジャンヌレ・ペレ邸は「東方への旅」から戻った直後に設計されたもの。

古典的なスタイル、この地域のスタイルであるスイスの山小屋風の形(屋根の部分)の中にも、ヨーロッパ各地で見聞してきた要素を取り入れた住宅建築と言えます。

シャルルは「東方への旅」の間、“鉄筋コンクリートの父”と呼ばれるオーギュスト・ペレ兄弟のアトリエで、製図工として働いた期間もありました。

常に革新的、新しいものを追い求めたシャルル。両親へ捧げられたジャンヌレ・ペレ邸では新たな試みも取り込んでおり、それまでのローカルな伝統建築とは決定的に異なる特徴もありました。

ジャンヌレ=ペレ邸の図面プラン

ジャンヌレ=ペレ邸の公式サイトに簡単な図面が掲載されています(寸法なし)。

公式サイトは英語、フランス語、ドイツ語に切り替えられ、左側のバナーボタンで敷地全体の各所の説明を見ることができます(PCであれば、外国語をGoogle翻訳できます)。

図面プラン 建物1階

図面プラン 建物2階

図面プラン 敷地全体

ジャンヌレペレ邸の外観

建物には大きく、横に連続する窓が取り入れられいます。室内は陽光が差し込んで明るく、比例(後の黄金比)を意識したファサード。内部空間は4本のコンクリート製の柱により、壁で仕切られていない構造が見られます。

これらは1912年当時、まだ広く世界のスタンダード建材・技術となる前の「鉄筋コンクリート」「ガラス材」の利用により、はじめて実現できたものでした。ジャンヌレ・ペレ邸には、その後、鉄筋コンクリートの利用によって“近代建築の巨匠”と呼ばれる、その後の「ル・コルビュジエ建築」の萌芽を見てとることができます。

両親がこの建物に住んだのは1919年までの約7年間。シャルルは最初の2~3年間で、わずかな期間でした。

当時としては珍しい建物。二人で住むには広すぎる点。秋から冬にかけての冷え込む時期に、ガラス窓を多用した建物を温めるためにかさんでしまう暖房費用など金銭的な問題もあったようです。

現在では、スイス時代のル・コルビュジエを知るための博物館として公開され、ル・コルビュジエ建築の所有者連盟(Owners Association)の地元オフィスとしても使用されています。

▲外観の一部や庭の壁の鮮やかブルー。ギリシャなど南欧などで受けたインスピレーションを反映したと言われる。

ジャンヌレペレ邸の内部

▲広々としたフロア。柱や壁が少なく、窓が多い。1912年当時、このようなスタイル住宅はなく、革新的、斬新な建築だった。

▲家の中からの眺望。高台にあり、ラ・ショー=ド=フォンの町全体を見渡すことができた。

▲シャルルがデザインした花柄の壁紙。忠実に再現され、当時の姿を見ることができる。

▲太陽の光が好きなシャルル。黄色い壁の色により、部屋の中が一層明るく感じられます。

▲「ル・コルビュジエ(Le Corbusier)」の名前の由来ともなった曾々祖父(ルコルビュジエ(Lecorbusier))の肖像画が掲げられている。

▲シャルルが自分の建築の仕事用に設けたの自室。天井はガラス材になっており、日中は日光が差し込んで電灯は必要ない。

▲ドアノブなどのディテールには、若き青年建築家シャルルの細部への強いこだわりを垣間見ます。

▲この地方の自然との共生を意味を込めたドアノブ

ジャンヌレ ペレ邸の入場見学情報、行き方、アクセス

ラ・メゾン・ブランシェ(ジャンヌレ=ペレ邸)公式サイト(英語表記あり)
アクセス開閉館情報入場見学料

財団ホームページ

Fonds Le Corbusier Maison Blanche Photographies
(両親が住んだ当時の様子や写真を掲載しているサイト)

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ファレ邸(1905ー1907年)

ファレ邸(Villa Fallet)はシャルル・エドゥアール・ジャンヌレが18歳のとき、人生ではじめて手がけた建築。いわゆる処女作です。

恩師レプラトニエからの紹介で、美術学校の理事であったファレ氏の住宅として、設計機会を与えられました。地元の建築家、ルネ・シャパラの助力を得ながら、美術学校の友人たちと共同設計した建築です。

ラ・ショー=ド=フォンは雪が多い地域。張り出された軒の深く大きな三角屋根が特徴で、ジュラ地方特有の山小屋が持つ自然の風合いとアールヌーボー様式を調和させた作品です。シャルルは主に外壁(モミの木の文様)やファサードを担当しました。

ファレ邸の外観

軒下の外壁部分の植物文様は、1905年以降、この地方特有のアール・ヌーヴォーの一様式である「スティル・サパン(style sapin)」です。(モミの木スタイルの意、サパンは「モミ」を指す)それは恩師レプラトニエが主導する形で生まれ、この地域に根づきました。

スティル・サパンの装飾様式は、ジュラ山脈の動物相や植物相に触発されたものと言われますが、処女作ファレ邸には、そのスティル・サパンの文様が見られます。アール・ヌーヴォー隆盛の時期に美術学校で学んだ成果がファレ邸に表現されていると言えるでしょう。

▲処女作のファレ邸は、パリに出てからの建築とは大きく異なるものですが、ジャンヌレ青年は、この建物をスタートに建築家への道を歩み始めることとなりました。

建築家ル・コルビュジエの原点としての意味をもつ住宅と言えます。

▲シャルルが通った美術学校によって生み出されたアール・ヌーヴォー様式「スティル・サパン」の看板。
(画像出典:ラ・ショー=ド=フォン市公式サイトより)

ファレ邸の見学情報、行き方、アクセス

財団ホームページ:ファレ邸(Villa Fallet)

ジャンヌレ=ペレ邸から徒歩1~2分。内部入場見学不可。外観も、原則として道路からの見学です。

個人所有の建物で、現在も人が住んでいます。訪問日時に運よく住人のかたが家にいらっしゃれば、ひと声かけて敷地内に入り、庭からの写真撮影は可能でしょう。(道路からのアングルではシャルルが手がけた外観部分の写真は取れず、庭に入り込む必要があります)

▲建物の裏手。この写真の右奥が個人邸の庭となっており、庭から正面ファサードを見ることができる。

シュオブ邸(1916ー1917年)

シュオブ邸(Villa Schwob)はシャルル・エドゥアール・ジャンヌレが、故郷ラ・ショー=ド=フォンで手がけた最後の住宅建築。

名門の時計業者のシュオブのための住宅。ジャンヌレ= ペレ邸をもとにして、鉄筋コンクリートの本格的な導入を行いました。

ヨーロッパの古典建築様式が取り込まれている一方、「東方への旅」で見聞したビザンチン様式やイスラム様式を彷彿させる外観や形状。通称「ヴィラ・トゥルク(トルコ風の家)」と呼ばれています。当時地元では「東方風の」とか「一風かわった」という意味合いで、厳密なトルコ様式というわけではないと言われます。

2階吹き抜けの空間、陸屋根など、のちのル・コルビュジエの建築言語が用いられた最初の住宅とされています。

シュオブ邸の外観

▲半円形の張り出しが左右両側に配された左右対称のプラン、道路側の不思議なブランクパネル、寒冷地にもかかわらず採用された南側の巨大ガラスなどが特徴的です。

地元で高い名声を博した「シュオブ邸」ですが、工費が当初の倍額へ膨れ上がって裁判沙汰に発展してしまいました。そのことも原因となってシャルルは故郷を離れる思いを強くし、活動拠点をパリへ移したとされます。

シャルルにとって、このシュオブ邸は思い入れのある住宅だったのでしょう。その後、ル・コルビュジエ名義で出版された『建築をめざして』の著作の中でも、「シュオブ邸の記念碑的様相」として熱く語られており、自選の作品集の中では、スイスで唯一、シュオブ邸が選ばれています。

現在、シュオブ邸は、高級時計メーカー、エベル社の所有で、ゲストハウスとして使用されています。訪問時も建物の中に人がいて、煙突から湯気が出ていました。

▲シュオブ邸前に立つ看板。「ヴィラ・トゥルク」と書かれている。最終的にル・コルビュジエの世界遺産17作品には含まれなかったが、ラ・ショー=ド=フォンの街自体がユネスコの世界遺産に登録されている。

シュオブ邸の見学情報、行き方、アクセス

財団ホームページ:シュオブ邸(Villa Schwob)

内部入場見学不可(個人所有の建物)。外観からの見学となります。

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以下はル・コルビュジエ財団の公式サイトのリンクです。

ジャンヌレ=ペレ邸(Villa Jeannneret-Perret)

ファレ邸(Villa Fallet)

シュトッツァー邸(Villa Stotzer)

ジャクメ邸(Villa Jaquemet)
※ジャクメ邸はグーグルMAP上、Chemin de Pouillerel 8と表記される

シュオブ邸(Villa Schwob)

スカラ座(Cinéma "La Scala")

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