ル・コルビュジエ インド 展示会

ル・コルビュジエ チャンディガール展 -創造とコンテクスト-展覧会感想

2018年に品川の建築倉庫ミュージアムで開催されていた「ル・コルビュジエ / チャンディガール展 -創造とコンテクスト-」の感想です。

建築倉庫は建築模型に特化した国内唯一のミュージアム。

今回のル・コルビュジエ、チャンディガール展は、2018年4月に建築倉庫がリニューアルした後の初めての展示会だけあり、渾身の内容でした。

内容とともに紹介します。

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インドのチャンディガール(Chandigarh)の場所、どんなところ?

チャンディガール(Chandigarh)はインド北部、首都デリーの北、約260kmの場所にあります。

おそらくは、ル・コルビュジエや建築に関心のある人でなければ、インド旅行でわざわざチャンディガールを訪れる人は少ないのでないでしょうか。

コルビュジエが都市計画(1950年代~)に携わってから約60年。現在のチャンディガール近郊の風景(2017年)。60年前はもっとだだっ広い、荒涼感のある大地だったと想像できます。

地名(Chandigarh)の表記に関して

日本では現地語での発音に準じて「チャンディーガル」と発音、表記されるのが一般的ですが、ル・コルビュジエはフランス語で「シャンディガール(チャンディガール)」と発音していました。

展覧会ではル・コルビュジエのフランス語での発音表記にもとづき、「チャンディガール」を表記されています。

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ル・コルビュジエの都市計画とチャンディガール

▲現在のチャンディガールの街(画像出典(Photo Source) http://takeme.co.in/chandigarh

建築家として著名なコルビュジエですが、画家として、都市計画家としての側面があります。

コルビュジエが世界に知れわたり始めたのは都市計画家として。当時「花の都」パリを大改造する一大計画を立て、「輝く都市」として発表しました。

しかし、その提案はフランス政府や建築界から受け入れられず、現在の「古き良き花の都」のまま今日に至ったことは周知のとおりです。

その後、コルビュジエは南米(1929年)、ヨーロッパ各都市(ジュネーブやモスクワ、ストックホルムなど)の都市デザインを計画、構想しました。

しかし、いずれも実現はしませんでした。

そして、コルビュジエの都市デザイン(都市計画)の中で、唯一、現実のものとなったのが、今回の展示会の主題となったインドのチャンディガールです。

チャンディガールはインド独立後、政治上の必要から新たに生まれたパンジャーブ州の州都で、当時のインド首相は「チャンディガールは過去の伝統に束縛されない、将来の新しい国家の信条のシンボル」と位置づけた街。

▲チャンディガール「合同庁舎(1953-1958)」

▲チャンディガール「高等裁判所(1952-1956)」

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ル・コルビュジエとインド

ル・コルビュジエは1947年のインド独立後、63才にして初めてインドの地を踏みました。
その後、彼は亡くなる前年まで、ほぼ毎年インドを訪問しており、その数、20回以上になります。

そして、このような言葉を残しています。

あの巨大な果てしない土地で 不安と煩悶の中に 決定をしなければならなかった。
悲痛なる自問自答。
私は一人で評価し、決定しなければならなかった。
もはや理性の問題ではない。
ただ感覚の問題である。

チャンディガールは支配者や君主や国王の町のように、城壁を巡らされ、隣同士が重なっているような街ではない。(注:チャンディーガルは、他のインドの計画都市とは異なり、ほぼ更地から建造されている)

平原を埋めることが先決だった。図形的な操作は、誠に知的な彫刻なのであった・・・。

つまり空間との戦いであり、心の葛藤である。
算術的、組成的、図形的なもの全てが、完成された時にみえてくる。

今は牡牛や山羊たちが毛布に追われながら、太陽に焦がされた野原を横切るだけである。

引用元:ル・コルビュジエの構想-都市デザインと機械の表徴ー
(ノーマ・エヴァンソン著、酒井孝博訳/井上書院)

実際のところ、コルビュジエにとって、インドの気候風土、自然環境は、ヨーロッパのそれとは全く異質のもの。

短期間滞在するだけでも過酷な灼熱の大地。

当時は何もなかったチャンディガールの大地での経験は、コルビュジエも経験したことのなかったもの、苦悩ではなかったのでないでしょうか。

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ル・コルビュジエ チャンディガール展:展示場の様子

会場は模型を展示したホワイエ(ロビー)と1部屋だけでしたが、チャンディガールでの挑戦が難しいプロジェクトであったことが容易に想起され、考えさせられる内容でした。

建築家として、都市計画家として、画家としてのコルビュジエが混在し、哲学的でもあり、少なからず難解にも感じられました。

しかし、直筆の手紙や詩集、絵画のオリジナルも展示され、コルビュジエを身近に感じることができました。

▲こちらはインドでコルビュジェが携わったもう一つ街、アハマダバードの繊維業者会館の模型。さすが建築模型を専門とするミュージアム。

▲チャンディガールの都市計画に関する解説(展示会の企画監修者で東京大学大学院教授の千葉学氏)。

コルビュジエのチャンディガールでの全体像がわかりやすく書かれていました。(写真をクリックすると拡大できます)

▲写真家ホンマタカシ氏によるチャンディガールの建築写真。都市を通り抜ける風や匂い、空間へ差し込む光を意識した組み写真。都市全体が個々の建築を包み込む、そのスケール感を表現しようとしたという。

▲チャンディガールの計画案の誕生に関連した資料。

壮大な都市計画のはじまりは、ここから。コルビュジエがイメージしたものを様々な形で表現している。いずれもル・コルビュジエ財団所有のデッサンやリトグラフの複製(コピー)だが、本物のような臨場感。

▲コルビュジエが苦闘したであろうインドの過酷な気候への対処。真夏には50℃(摂氏で!)に達することも珍しくない、乾ききった土地での挑戦。▼

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ル・コルビュジエ チャンディガール展 感想まとめ

展示会は2部屋(実質1部屋)という展示会としては小規模なものでしたが、チャンディガールという知名度も、情報も少なく、資料入手しづらい場所にスポットライトを当てたよい展示会でした。

建築倉庫ミュージアムでの併設展(建築模型展)も見ごたえがありました。

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